久井町中野の民話~アリスの会朗読劇より
昔、中野は大きな大きな沼だったと
子供が小学生の頃、学習発表会で見て
卯之助さんの事も聞いてはいました。
しかし、昨日の芸能発表会に出演された
アリスの会の皆さんの朗読劇で
より詳しく知ることができました。
平清盛の時代、
中野は、大沼湖水地だったとのこと。
当時、安芸の国を治めていた清盛は
耕地にして人々の暮らしを豊かにするため、
中野地区の南にある山の大量の土を取る工事を発令しました。
現在、土取という地名はその名残だそうです。
南の山がなくなったことで、
湖水の水は仏通寺に向けてとうとうと流れ出し、
昇雲の滝はその美しさを増しましたが、
湖水の水が引いた後の中野はどろ沼で
とても耕地になりそうになく、排水路として水を流すために
中央へ川を作ったとのことです。
せんチャンファームの横を流れている仏通寺川は
自然に出来たものではなく、
水を流すために村人達が作った排水路だったのでした。
しかし、川に堤防を作っても大雨が降るとよく氾濫し、
また、元のどろ沼になっていたそうです。
どこからともなく、こういう時人柱を立てたら
押し流されない堤防ができるそうなとの話になり、
庄屋さんは誰にするか暗い気持ちになっていました。
その時、長男の12才になる卯之助さんが
父を心配し、小さな胸を痛め、
村のためなら、お父さんのためなら、喜んで人柱になりますと
申し出たのでした。
村人達もかわいそうにと暗く悲しい気持ちになりました。
11月の初めに卯之助さんは父母や村人達に今生の別れをし、
馬に乗って馬と共にどろ沼深く人柱となりました。
村人達はこの尊い命を無駄にしてはならないとその後
急速に堅固な堤防を築きました。
以来、中野の地は氾濫を起こすこともなく、
耕地となったのでした。
~という朗読劇でした。
せんチャンファームの自然薯がはじめて
出来た年のお祭りに卯之宮神社に
自然薯を奉納させて頂きましたが、その後は
1回年末に神社の当番だった時に奉納しただけで、
していませんでした。
これからは毎年、奉納させて頂こうと思います。
また、土地や耕地をより大切にしていかなければと
思いを新たにしました。